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- 牟田村(近世)とは
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牟田村(近世) 江戸期~明治8年の村名はじめ玉名郡,明治3年からは山鹿郡のうち岩原川右岸,郷原台地北端部の崖下に位置する熊本藩領村高は「旧高旧領」142石余「肥後国誌」によれば中富手永に属し,持松村のうちとあり,高137石余また同書は当村の成立について,もと沼地であった所を寛永年間頃藩主忠利の命によって開田したとあり,高は持松村高外ともある村名は,この往時の湿地にちなむかと思われるまた文化9年の「中富手永風土記」(平野家文書)は当村について,田ばかりで畑はなく,山方新地に居住すると記す宝暦12年の田畑下名寄御帳(県立図書館蔵文書)では,田8町4反余・畑1町1反余,ほかに2反余あり,高合計136石余文化11年の中富手永手鑑(肥後藩の経済構造)による家数6・人数38,馬10観音堂や稲荷祠などがある熊本県を経て,明治5年白川県に所属同8年持松村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」